
修士論文を提出して気持ち的に一区切りついたので、新しいブログを立ち上げることにした。
僕はもう一つブログを書いていて、そっちの月間PVは約13万、月間収益額は20万円ほどある。そのブログを書き始めたときにはなんでもかんでも書いていって気持ちの整理に役立てようとも思っていたのだけど、1年間続けていくうちにいつのまにやら収益額がバカにならない金額になってきて、適当な記事を書きづらくなってしまった。ということで、このブログを立ち上げた。
やっぱり、思ってることを吐き出す作業って大事じゃんね。振り返ると、人生で頑張れていた時というのは、こういう「吐き出す場」をきちんと持っていたようなきがする。ということで、さっそくだけど吐き出してみる。
あいうえお//ここに広告のコードを入力最近思っている、今後の目標
年収1000万を早く達成する
とりあえず、この額いってからがスタートっしょって思ってる。少し前まではこれを最終目標に近い位置に設定しようと思っていたけど、ブログの収益がここ2ヶ月で急激に上がってきたことで、大幅に上方修正しようという気になった。まわりをみても(チャットウォークとか)、みんなガンガン結果出して年収1000万なんて余裕で突破してるし。
で、そういう人たちをみていて思うんだけど。
俺、決して負けてない。
昔は、若いうちに年収1000万いく連中ってのはきっと頭の出来が違うんだと思っていたけど、全然そんなことはない。能力的には、俺と大差ないか、むしろ俺の方がキレてると思う。俺は、自分の能力を過小評価し過ぎていた。
で、じゃあガンガン成果出してる人と俺の差がどこにあるかといえば、ひとえに「自信」にあると思うんだよね。
俺は、自分の中で「独自の勝てる理論」を持っているのに、周囲に「そんな考え甘い」だとか「無理に決まってる」だとか言われて怖気付いて、その理論を信じきれずにフラフラしてしまっているんだ。その理論を信じて愚直に進みさえすれば、少なくとも上位1%には余裕で入れるのに(感覚的には、俺理論を信じてやっていけば上位0.1%には入れる)。
たしか20代で年収1000万に到達する割合が1%切るくらいだったから、俺理論に従ってやっていって、さっさと年収1000万を達成してしまいたい。
今年中の達成を目標にやっていく。
最終的な年収の目標は3000万
これはまだイメージしきれていないけど、当面は最終的な年収の目標を3000万においてやっていく。これだけの額稼げていれば、貯金もガンガンできるだろうし、投資の幅も広がるし、不動産とかも買えるかもしれない。
とはいえ、まずは年収1000万への手応えを得ることが先決かな。そこが得られて、はじめてそれ以上の額が見えてくるきがする。
上記を達成していく中で身につくスキル、見えてくるもの
お金のことばっかり書いてきたけど、俺が欲しいのはお金だけじゃない。というか、お金なんてものは有限だし、はかないし、頼りない。一番頼りになるのは、お金を稼げるんだっていう手応えとか、マインドセットとか、スキル。
ここから1〜3年頑張ってお金を稼いでいく過程で、それらを身につけたり磨いたりしていきたい。具体的には、
- 興味関心を引くコンテンツを作り上げる企画力、発想力
- ものを売るコピーライティング力
- 人を管理するマネジメント力
- 頼まれたことを110%で返す力
- その他、ビジネス界を渡り歩く社会人としてのスキル
- ビジネスシーンでも活用できる英語力
- 人生の理論、哲学を磨く
- 未来の動向をイメージする力
とかとかとか。いろいろごっちゃになってるけど、とにかく、自分が感じている「こういう風にやれば勝てる」っていう直感を大事にしながら生きていければ、自然と身についていくと思う。総合的に成長していければOK。
人の悪口、悪い噂をできるだけしゃべらない
これには、反面教師がいる(ここでは言わないけど)。
人ってどうしても悪い噂が好きな生き物らしいけど、悪い噂するのって、すごくダサくないか?俺がそう思うだけか?
わからん。俺が、悪い噂たてられる側の人間だからそう思うのかもしれない。理由はわからないが、俺はとにかく悪口や愚痴ばかり言っている人のようにはなりたくないんだ。もっと、人を褒めてばかりで、いいところをみつければかりな人間になりたいんだ。。
と、いまここに書きながら気づいた。
俺も、結局悪口というか、人を下に見てしまっているふしがある。
人が悪口を言っているのを人一倍敏感に聞き取って軽蔑しているし、社会的地位だとか、収入だとかいうものに対する執着心も強い。けど、そういう自分がなんだか醜いというのも感じていて、そのジレンマの中にいる。結局、俺が 嫌っている悪口ばかり言ってる連中というのは、俺と似ているのかもしれない。同族嫌悪なのかもしれない。。
しかし、たとえそうだとしても、俺は人の悪口ばかり言うようなやつになりたくない。
身の丈に合わない発言をしない
ここ数ヶ月で意識するようになったところ。俺が特に弱いところなのかもしれない。
思えば、〇〇会という障害者支援の団体に片足を突っ込んだとき、その障害者の人に
「上から目線やね。損するで、そんなんやと」
って言われたことがある。
その時は「は?余計な御世話だし」と思っていたけど、6年も前に言われたその一言を今も覚えているというのは、きっとそういうことなんだろう。
たぶん、人の悪口を言うってところとも繋がっている気がする。悪口っていうのは人を見下しているからこそ、自分が上の立場にいると勘違いしているからこそ言えること。
「自分のことを棚に上げて何言ってんだ?」ってのは、これらに通じる、自分自身に問いかけ続けたい、心に留めておきたい一言。
とにかく、知ったかぶりをしない。自分の知る範囲で、喋れる範囲で言葉を回していく。そこのさじ加減を常に意識し、身体に叩き込んでいきたい。
人を許すように努力する
最近読んだ記事に感化され。
知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。
人を許せないというのは弱さだと思う。これも、悪口を言うことと繋がっている。悪口を言うというのはその人を許せないという気持ちも含んでいて、それが直接「器の小ささを示す証拠」となる。だって、器が大きければ、普通の人が許せないことを許せるから、理解しようと、その背景を知ろうとするから。
許さない、悪口をいう、よく知らないのに知ったかぶりをするというのは思考停止というか、すごく傲慢な態度。それはまちがいなく聞き手も感じることだし、こういうものが積み重なることで「信頼」が揺らぐことにも繋がってしまう。
こう書いていくと、悪いものってひとつひとつがつながってるんだね。
いいところを伸ばす
ちょっと ないない が続いたから、ここらでポジティブな するする目標を。
俺は、まちがいなく強みを伸ばしていくべき人間だと思う。25年間生きてきて、そのことだけは一貫していた。なので、これからの50年間は、ひたすら自分のいいところを伸ばすことに尽力していきたい。俺のいいところは・・・
行動力があるところ。
キリマンジャロ登るとか。フィリピンでマネージャーするとか。東京大学大学院入るとか。とにかく、「やりたい!」と思ったことがあれば実現へ向けて行動を起こせる。
納得感があれば高い集中力をひとつのことに注げるところ
高校時代の陸上競技とか、大学時代の受験勉強とか、ここ最近のブログ関連のこととか。自分が「これだ!」と思えれば、ある程度の結果を出すところまでは時間と集中力を注げる。
独自の考えを導き出せるところ
一番最初に思い出すのは、小学校1年生のときのコマ回し。俺はずーっと駒をうまく回せなくて、1週間くらい 投げては失敗し投げては失敗し を繰り返した後、「こうすればうまくいくんじゃないか?」とおもってフリスビーを回すみたいにして駒を回したら、はじめて駒がうまくまわった経験がある。
思えば、このころから、「自分なりに工夫して、自分なりのやりかたで成功を目指す」ということの適性があらわれていたのかもしれない。
今までの人生においても、自分の中に納得感が残り、糧となっている経験はすべて「自分なりのやり方で頑張った」というもの。
つまり、そういうことなのだと思う。俺は、人にやいやい言われながら思考停止しながらやっていくのが嫌いで、自分なりのやり方であれこれ考えながらやっていくのが好きなんだ。
じゃあ、そうしていくほかない。
多分、俺の強みはこの3つに集約される。この3つだけはこれからも潰さず、自分自身で肯定しながらやっていきたい。この3つを守って生きていけば、ほぼ確実に自分が思い描く理想の人生を生きれる。
人間関係の質を高めていきたい
今までは、なんとなく雑に人と付き合ってきた。そろそろ、その質を高めるフェーズに来ていると思う。
人間関係の質を高めるためには、「自分が何者であるか」がはっきりしている必要がある。今年で社会人になるわけで、自分の人生をどうデザインするか、その幅もぐっと増す。
ここははっきりと意識して、「自分は何者で、何ができるのか」を主張して生きていきたい。いつまでも楽な戦法で人と付き合ってちゃだめだ。
まとめ。
このブログがいつか月間10万PVとかいく日がくるんかなぁ。そうなったら、またいろいろと書きづらくなっちゃう。
別で書いているブログは現実世界の俺と若干繋がってしまっているけど、このブログに関してはしっかりと切り離して書いていきたい。
その分、アフィリエイトとか仕事に関することもけっこうえぐいレベルで書いていく(もちろん、もろもろ許される範囲で)。
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